個性について

f:id:HIROSUMUMI:20211210032732j:plain 
 小林秀雄の「ゴッホの絵」という文章のなかで、1921年にケルンで開かれた絵画展に際してのヤスパースの印象が次のように引用されている、「ゴッホの驚くべき傑作とともに陳列された全ヨオロッパの千篇一律な表現派の作品を見ながら、狂人たらんことを欲してあまりに健康なこれらの多数者の中にあって、ゴッホだけが唯一人、高邁な、自分の意に反しての狂人であるという感を、私は抱いた」と。これを、ゴッホの唯一無二の天才に対する賛辞と読むこともできるが、むしろヤスパースゴッホという対象を借りて、人間の個性というものの本質に肉迫しているのが、この文章の味わいに思われる。およそ、市民革命に端を発する近代精神なるものの発生に伴って、画家たちは競って個性を表現しようとしたが、そんなものは「狂人たらんことを欲してあまりに健康」であるにすぎない、ただこの南仏の田園画家のみが「自分の意に反しての狂人」ではないか。世の中では表現主義だのやかましく言っているが、ゴッホの下心のない純真な精神の描く椅子やら跳ね橋、肖像画のほうが遥かに独創的でないのか。個性的であろうとして、いかにも没個性的なこれらの膨大な作品たちのなかで、唯一無二の輝きを放つゴッホの純朴な狂気は、個性とは、意図的に作り出す類いのものではない、自己と闘って獲得するものなのだと語っている。
 私達がよく知るところのゴッホの作品群は、南仏のアルルにおいて、拳銃自殺に至るまでの、たった一年程度のうちに、恐るべき速度をもって描かれたものである。描いてはまた描くといった毎日は、彼にとって労働というよりも、ある種の闘争であった。画家は絵を描くことが第一義である、そう悟ったからには、自己の精神と戯れることなど何の意味をもなさない。ただ描けばよいことだ。そうやって、間断なき自己との闘いのなかから、いよいよ自然(spontaneous)に発生してきたのがゴッホの個性なのだ。これを前に、自己愛に満ちた作為的な「個性」が、いかに陳腐に映ることか。ヤスパースがケルンで目撃したのは、正にこういうことであった。
 優れた芸術家はみなこのことを理解している。僕の敬愛する即興音楽家キース・ジャレットは、原始社会の人々にとって「音楽を演奏するということは、実は、生き残るか自殺するかの選択」であると言うが、これは同時に、彼の音楽に対する姿勢そのものであって、瞬間瞬間の創造の過程に最も深く関わるキースの即興演奏もまた、一種の生存闘争に他ならない。加えて彼はこう言う、「自分を覚醒した状態にするためのひとつの方法は、スポンテニアスになること。スポンテニアスになれば自分のくだらないアイデアとよいアイデアの区別がよく聴こえてくる。何もかも準備した状態ではその経験はできない」。ここでは、即興演奏における自発的な姿勢の重要性が解かれているが、これは真に創造的な人格の個性の問題と地続きであって、ゴッホの個性が絶えざる制作の努力の自然的所産であったことが重なってくる。本当の意味での創造とは、生きるか死ぬかという選択を常に突きつけるものだ。詭弁でも何でもない、これを誇張と考える人間こそが「狂人たらんことを欲してあまりに健康」な自己愛の精神を「狂人」と錯覚するのだ。
 今日の教育はひっきりなしに個性の至尊をうったえるが、誰も本当の個性がなにかわかっていない。個性とは自己を克服せんとして獲得されるものだ。そんなこともわからないから、個性の美名を借りた自己愛が蔓延する。小林の言葉を拝借するなら、この世には2種類の人間が存在するだろう。即ち、自分と戯れている人種か、それとも自己と闘っている人間か。後者は死に絶えつつあるのだろうか。

宮崎駿の私小説としての『風立ちぬ』



f:id:HIROSUMUMI:20210828072851j:image

宮崎駿監督作品の『風立ちぬ』を昨日のテレビ放送で観た。僕が初めて観たのは小学生高学年の頃であって、そのときは菜穂子の喪失という、ストーリーにおける「堀辰雄の物語」に感動したものであるが、どうやらこの映画の本質は「堀越二郎の物語」にあるようだ。

 

宮崎駿の語る「堀越二郎の物語」とはなにか、それは夢を追いかける創造的人生の狂気とその代償の物語である。「美しい飛行機をつくりたい」という二郎のあまりにも純粋な夢は、時代の必要から軍用機というかたちを取らざるをえなかった。美しい飛行機をつくる創造性が即ち、戦争の破滅性に直結するという皮肉な構造は、堀越二郎の自己矛盾であり、また同時に宮崎駿の自己矛盾でもある。「彼ら」のアンビバレントな感情がとらえたのは、彼らの創造性だけではなかった。それは、より象徴的な意味における菜穂子の存在でもある。自己の理想を追い求めるために大切なものを失っていった宮崎駿の筆は、「美しい飛行機をつくる」夢を追い求める二郎から、なんとしても菜穂子を奪わなければならなかった。死にゆく運命の菜穂子が二郎のもとを去った直後に、九試単座戦闘機が青空を美しく飛行するさまは、創造性が本質的に包含する狂気を見事に描いている。そして零戦がつくられる。そして日本は破滅へと向かう。すべては必然であった。

 

僕には、堀越二郎宮崎駿を重ねあわせ、同一視する見かたは野暮に思われる。しかし、二郎の抱いた葛藤は、紛れもなく宮崎駿の抱いた葛藤であった。風立ちぬ宮崎駿私小説なのだ。

ノラ・ジョーンズ / Man of the Hour 歌詞和訳


f:id:HIROSUMUMI:20210826181601j:image
「ひとときの恋人」(Man of the Hour)

作詞・作曲:Norah Jones 

"It's him or me"
That's what he said
But I can't choose between a vegan
And a pot head
So I chose you
Because you're sweet
And you give me lots of lovin
And you eat meat
And that's how you became
My only man of the hour

"あいつか、俺かだ"って、彼そう言ったの

だけど菜食主義者か、マリファナ中毒かなんて選べっこないよね

だから、わたしはあなたを選んだの

あなたは優しいし、私をとっても愛してくれて、お肉だって食べてくれるもの

だからあなたはなったの、わたしのかけがえのない、ひとときの恋人に


You never lie
And you don't cheat
And you don't have any baggage tied
To your four feet
Do I deserve
To be the one
Who will feed you breakfast, lunch, and dinner
And take you to the park at dawn?
Will you really be
My only man of the hour?

あなたは決して嘘つきじゃないし、浮気っぽくもない

あなたの4本の脚には、どんな重荷だって掛かっていやしない

私はふさわしいかしら?

朝ご飯にお昼、夜ご飯をつくってあげて、夜明けに公園に連れ出してあげるひとになるのに

本当にあなたはなってくれる?

わたしのかけがえのない、ひとときの恋人に


I know you'll never bring me flowers
But flowers, they will only die
And though we'll never take a shower together
I know you'll never make me cry
You never argue
You don't even talk
And I like the way you let me lead you
When we go outside and walk
Will you really be
My only man of the hour?
My only man of the hour...
My only man of the hour

あなたが花をくれないのはわかってる

でも花って、枯れちゃうだけだよね

一緒にシャワーを浴びることもないだろうけど、あなたがわたしを泣かせことなんて決してないものね 

口喧嘩だって絶対にしない

そもそも話すことがないもの

一緒に外に出て、お散歩するときに、わたしを先に歩かせてくれるところが好きよ

あなたは、本当になってくれる?

わたしのかけがえのない、ひとときの恋人に

わたしのかけがえのない、ひとときの恋人に

わたしのかけがえのない、ひとときの恋人に

 

【ひとこと】

 ノラ・ジョーンズの4thアルバム『The Fall』の最後を飾る「Man of the Hour(邦題:ひとときの恋人)」は、とてもチャーミングな失恋の歌です。ノラはこれまでの『Come Away With Me』『Feels Like Home』『Not Too Late』の3枚のアルバムを、恋人でベーシストのリー・アレクサンダーと共に制作してきました。しかし彼との関係は終わりを迎え、4thアルバムでは心新たにロック路線を開拓してゆきます。そんな時期のノラのオリジナルである「Man of the Hour」では、これまでの男性との交際を振り返り、自分をしっかりと愛してくれる唯一の存在である自分の愛犬に対して「私のかけがえのないひとときの恋人になって」と語りかけます。ちなみに曲の最後に「ワンッ」という犬の鳴き声が聞こえます(笑)。そうそう、この曲が収録されている『The Fall』のジャケットにはノラと大きな犬が写っていますが、この曲がモチーフになっているのでしょうね。とても素敵です。

https://youtu.be/L1D9aDLkzvw